8 Jul 2012

年齢気にしすぎ病


古い体質のインフラ業界で働いているせいか、仕事を始めてから自分が若い(20代前半)ということを良い意味でも悪い意味でも痛感させられるようになった。(日本人とのコミュニケーションにおいて)
若いからこそすぐに覚えてもらったり、よくしてもらえることもある一方で、若さ=未熟さゆえにそもそも相手にされない・意見を聞いてもらえないことも無きにしも非ず。

仕事相手に年齢を直接聞かれることはまずないけれど、「入社何年目ですか?」とはよく聞かれる。そして、これは暗に「何歳ですか?」と同じ質問を意味しているのだと思う。

多くの日本企業においては年功序列・終身雇用という価値観が未だに強く残っており、相手の年次を気にする人がとても多い。というか、まず最初にする質問が「何年入社?」だったりする。
院卒や転職者の場合、年次は低いのに年齢は上ということも大いにあり得、その場合は色々と混乱をもたらすことが多い(気がする)。

そして、この年齢を基準に相手を判断する社会的傾向は、女性の場合にはより大きな負担となる。

最近はアラサ―やアラフォーなど、「〇〇歳なのに●●」という言われ方がよくする。
●●に入るのは美人、活発、未婚、再婚、出産などなど、色々な言葉があるけれど、どれもその年齢に対する一般的通念と比較した際、そのギャップが大きいから使われるのだと思う。

でも、この傾向にはちょっと(いや、かなり)違和感を感じる。

例えば30,40,50歳と歳を重ねていって、美しくなくなるなんて誰が決めたんだろう?
確かにシワは増えるし、昔の様なハリのある体ではないかもしれない。でも、豊富な知恵や経験に基づく内面的な魅力は20代とは格段に違うと思う。もちろん、外面的な美しさや愛嬌を保ち、洗練させていくおねえさん、おばさん、おばあさんもたくさんいる。

むしろ、“この年齢だからこうでなくてはいけない”という社会の圧力が彼女らを老けさせていくんだと思う。例えば、海外ではおばさん世代でも露出の多いキャミソールやスカートを平気で身に着けている。もちろん服装の好みは人それぞれだけれど、周囲の目を気にせず自分が好むファッションを楽しむことは女性の美にとってとても重要だと思う。


また、最近の芸能報道では「35歳なのに未婚」「40歳で出産」「50歳にして再婚」などなど、年齢を引合いに出した見出しをよく見かける。メディアが注目を集めるためにわざとそうしているのだろうけど、本人からすれば大きなお世話以外の何物でもないと思う。
30歳だって40歳だって色んな理由で結婚しない人はたくさんいるし、50歳だって魅力があれば誰だって再婚は自由。
年齢を明らかにすることで、その人の本質をネガティブな方向に歪ませる風潮には賛同できない。重要なのはその人の外見・内面であって、年齢という単なる数字ではないと思う。


と、そんなことを思ったのは最近スーパーボウルのハーフタイムショーやコンサートで活躍するマドンナが年齢を元に批判されているから。
彼女が現在53歳ということで、露出の多い服を自粛しろなど叩かれていた。でも、実際彼女の年齢を知らなかったら、多くの人が文句なしに彼女のパフォーマンスに魅了されていたと思う。(イスタンブールでのコンサートに相当問題があったという点は置いておいて…)
もちろん、これは人々の注目を浴びるセレブリティだからという特殊なケースではあるけれど、日本に比べれば、海外では年齢によって判断されることは少ないと思う。
渡辺千賀さんのBlogエントリー、アメリカでは年齢があまり関係ないことについてにもあるように)

*****************************************************************************

昔知り合ったケニア人の青年は自分の誕生日を知らなかった。だから、年齢も分からない。
見た目や話した感じからおそらく自分と同じ歳くらいだろうなーと思っていたけれど、もしかしたらすごい上かすごい下だったかもしれない。
でも、そんなこととは関係なしに彼はとても素敵な人だった(人間として)。

もちろん、酒やたばこ、映画などの視聴制限においては生物学的な指標としての年齢は重要。
でも、それ以外の場面で年齢を気にしすぎる社会の価値観は、自らを(特に女性を)不幸にしているようにしか思えないなぁ。