6 Jul 2012

「まっぷたつの子爵」

イタリア人作家イタロ・カルヴィーノ著「まっぷたつの子爵」。

カルヴィーノはキューバに生まれ、イタリアに育ち、第二次世界大戦末期には祖国解放を目指すパルチザンに参加しドイツ軍と戦った経験を持ちます。
戦後の混乱の中、トリノ大学に編入した彼は、その後数々の寓話的長編小説を短期間で書き上げます。

その一つが1716年のトルコ対オーストリア戦争を舞台にした本作。
小説のモチーフは「まっぷたつにされた人間」。

戦争でトルコ軍の大砲を受け、縦にまっぷたつとなり右半分だけ生き残ったメダルド子爵。九死に一生を得た彼は、その外見だけでなく中身も大きく変わり、悪意に満ちた残忍な人間に変わり果ててしまう。日々悪事を働き、村を恐怖のどん底に陥れるメダルド。ある日、彼の前に死んだはずの左半分が姿を現し、この“悪半”と“善半”が決闘することとなる。

メダルドは言います。
「完全なものはなんでも半分になるのだ。・・・かつて、わたしが半分だったころには、すべてのものが自然に、そして空気のように愚かしくも混乱して見えた。 
あのころ、わたしはなんでも見えるような気がしていたが、それは外観にすぎなかった。もしもおまえが半分になったら、そしてわたしはおまえのためにそれを心から願うのだが、少年よ、ふつうの完全な人間の知恵ではわからないことが、おまえにもわかるようになるだろう。 
おまえはおまえの半分を失い、世界の半分を失うが、残る半分は何千倍も深い意味をもつようになるだろう。 
そしておまえはすべてのものがまっぷたつにあることを望むだろう、おまえの姿どおりにすべてのものがなることを。なぜなら美も、知恵も、正義もみな断片でしか存在しないからだ。」
彼が示唆するのは、人間だけでなくあらゆるものの持つ二面性や不完全であるからこその可能性なのではないでしょうか。
また、善意に満ち溢れたメダルドの右半分の親切が仇となり、結果的に村人に迷惑をもたらすという描写からは、善悪の区別が必ずしも一定ではないことを表しています。

シニカルで幻想的なカルヴィーノの世界が楽しめると共に、とても本質的な問いを突きつけてくれる一冊です。是非ご一読あれ。