17 Nov 2011

イラクという国

こちらで通っている語学学校にイラク人のクラスメイトがいました。(今はクラスが変わったので過去形)

彼はモデルになれるんじゃないかというくらい美形で、私より5歳も年下(に全く見えない)。
いつも笑顔でクラスのムードメーカーだった彼。エジプト人のクラスメイトとは母語のアラビア語で会話するものの、英語はネイティブ並みで発音も非常に綺麗。そしてキリスト教徒。(英語はアメリカのドラマや映画を見て勉強したらしい)

トルコでは翻訳の仕事をやっていて、2年前に兄弟・従妹と共に車でイラクから来たそう。(ちなみにご両親は戦争で亡くなり、兄弟も皆ご両親は違うとのこと)
彼の出身地MosulからIstanbulまでは距離にして約1,800km、ぶっ続けで運転しても一日近くかかるよう。


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そんなバックグラウンドなんて微塵も感じさせない、明るい彼。ニュースでは毎日の様にイラクでのテロや被害の様子が流れていたけれど(最近は減った)、恥ずかしながらイラク人の友達ができて初めてイラクという国を身近に意識したので、ちょっと歴史を紐解いてみました。

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人類最古の文明として知られるメソポタミア文明発祥の地であり、イスラム帝国、オスマン帝国、イギリス帝国の時代を経て、イラク王国として1932年に独立。58年に共和国となるも79年に就任したサダム・フセイン大統領統治下、戦争が勃発。

80-88年のイラン・イラク戦争、90-91年の湾岸戦争により経済制裁を受け、国際社会から隔離。03年のイラク戦争を最後に、20年以上に亘る戦争は終結したものの老朽化・破壊されたインフラが約3千万人の国民の生活・国の発展の妨げとなっている。

しかし、07年後半からは警察や軍などの治安部隊の増強により治安の改善が進み、また原油等の豊富な天然資源やインフラ整備のニーズを中心に世界各国が官民を挙げてイラクでのビジネスに積極的に乗り出している。日本企業もJICAの資金協力により発電所や橋梁・道路の建設事業に取組んでいる。

イラク国内での支援を効率的に進めるべく、JICAは09年7月にクルド自治区のエルビルに、11年8月には首都バクダッドにも事務所を開設。ハード面だけでなく人材育成や技術協力プロジェクトの開始など、ソフト面での協力にも力を入れているとのこと。

イラクの民族構成はアラブ人が8割、クルド人が2割で他はトルクメン人、アッシリア人等。北部のクルド自治区は国内で最も治安が安定しているそう。クルド人はイラン・イラク戦争末期の88年、イランと通じているという疑いによりフセイン元大統領により毒ガス攻撃を受け、約5千人の命が失われた。
その悲劇を忘れない為にとハラブジャという街には当時を再現した立体模型や壁画を展示した博物館がある。地元の人々は原爆投下で同じ悲劇を経験した日本に対して親近感を抱いており、ハラブジャは「イラクのヒロシマ」とも呼ばれているそう。

戦争が起こる前の70年代には多くの日本企業がイラクに進出していた。当時は1万人以上の日本人が住んでおり、バグダッドには約100人の生徒を有する日本人学校もあった。その後度重なる戦争により日本企業は撤退を余儀なくされたが、当時導入された日本製のプラントは稼働し続けているものも多い。

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10月21日に米国のオバマ大統領は今年中にイラクからの米軍撤退を完了させることを発表しました。

5~10年後にはイラク自身による復興・発展・自立の道が開けると思います。戦争が残した爪痕はあまりにも深いです。しかし、そこから這い上がる人間の力を信じたいです。トルコに難民として逃れてきた友人がいつか再び祖国の地を踏める日を願って…